「智」を鍛える。

今から10年以上前から、ワタシが唱えている「呪文」です。東京都三鷹市で、市民に向けた「工房」開設の話があったころ、ワタシも、その設立準備委員会の一員でした(その後、7年間にわたってこの工房運営を担当してきました)。同市の別の場所で、すでに「会員制 ものづくり工房 WoobyStudio(ウービースタジオ)」を開設、運用していたこともあり三鷹市の施設「ファブスペースみたか」の開設記念講演を依頼されました。その際、唱えた呪文が「智を鍛える」でした。

その時すでに(現在もですが)、いわゆるスポーツジムがあちこちに作られ、会員として通う人もたくさんいました。私自身も、そういったジムに通っていました(結構マッチョでした。少しはモテるかと思ってましたが、自己満足以上の効果はありませんでした)。そのスポーツジムと、「モノづくり工房」のビジネスモデルの比較として唱えた呪文が、「ベホィ,,(古っ!)」じゃなくて、「智を鍛える」でした。「スポーツジムは筋力アップのための器具のレンタルと、トレーナーによる指導」を商品としたビジネス。同様に、我々が目指す「工房」も、「モノづくりのための器具、工具をレンタルし、かつ、技術者による指導(ワークショップ含む)」が商品でした。このビジネスモデルの合致を訴え、工房経営の成長の可能性をアピールする狙いでした。

しかし、両者には決定的な違いがありました。スポーツジムには必ず、「健康」というキーワードが付随していたのです。一方、「モノづくり工房」には、趣味、遊び、道楽、楽しみといった「お金の無駄遣い」的なニュアンスがくっついていたのです。そこで、ワタシとしては、「スポーツジムは肉体的健康のため体を鍛える」、「モノづくり工房は智(知識、認知力)を鍛えるための場所」という見方を提唱した(つもり)でした。「(肉体的)健康のためなら、お金も時間もケチらない」というまっとうな理屈に対して、「(精神的)健康のためなら、お金も時間もケチらない」が成立すると考えていました。当時から、指先を使ったモノづくりは認知機能の維持・向上に提唱されていましたから。

しかし、ご想像の通り、この考え方は全く通じませんでした。ワタシの講演は誰の記憶にも残らなかったようです。その証拠といいますか、全国の「〇〇工房」、「〇〇ラボ」といった施設はことごとく不採算、または閉鎖となっているようです。

肉体的寿命は延びる一方ですが、知的寿命はどうでしょうか。私自身、認知症という言葉に恐怖を感じながら生きている毎日です(「若年性認知症」はクリア済です!。今後は、「由緒正しい正規認知症」です)。

もう一度、「智を鍛える」ことを開始してもよいのではないでしょうか。これからは、そこに「お金や時間」を使うことが重要な気がしています。

「健康」ということは「肉体的かつ精神的」健康だと考えます。